Chinaとチベットとダラムサラ訪問記
新聞協会曰く、SNSは流言飛語だらけらしいが・・・・。
かくいう新聞社はどうなんだろうね?
米国のCDC(疾病管理予防センター)はいち早く、全員検査を打ち出していたが、別ソースから(米国発だが)細菌研究所から漏れ出したとの情報も入っている。
たぶん、表沙汰になることはあるまいが、SARSにしろ、MERSにしろ、当時から細菌兵器の噂は絶えない。
アフリカ発のエボラも同様に怪しんでいる人達は多いようだ。
そもそも、感染症の元となるウイルスが突然変異して猛威をふるうものだろうか?
人類が数百万年も生き延びてきたこと、有史以来最大の感染症は14世紀欧州で発生したペスト(黒死病)全世界で一億人が死亡したとされている。
20世紀に入り、戦争の戦略兵器として、細菌兵器が研究されてきたようだが、各国共に地下に潜った研究となっていて、実態は誰もわからない。
アホな人類の究極兵器は、細菌兵器であることは疑いの余地が無いし、そう思われても不思議ではない、昨今のウイルス騒動。
それはさておき、米騒動の話題。
久しく起きてないし、輸出入で先進国は賄っているようだが、人類の最大の課題は、食糧確保。
世界の飢餓人口は、2017年の統計で8億人を超えているそうだ。
背景は様々あろう。内戦による耕地の荒廃。紛争による耕地の荒廃。
たぶん、最大の要因は、醜い人類同士の争いに起因しているんであろう。
とすると、飢餓人口は増えることはあっても減ることはなさそうな感。
紛争の火種にガソリンを撒いている連中が居る!と指摘されてる皆さんも多い。
記憶している方もあろうかと思うが、1993年に米騒動が起きた。
要因は、冷夏により、東北地方が作況指数平均50前後と極めて稀な数値だった。
とりわけ、ヤマセの吹き込む青森は悲惨で作況以前に出穂すら無い収穫皆無の地域も
出現した。
国内の年間の消費量に対して生産量が200万トンも不足したとされている。
世界に影響を及ぼし、東南アジアから長粒種を緊急輸入する事態に陥った。
原因は、1991年のフィリッピンピナツボ火山の噴火によるものとされている。
が当時はバブル真っ最中。
昔と違い、農家ですら備蓄米は一年分しか保管しないのが現状。
そう・・・飢饉で餓死者が出たことは忘れてしまっている日本。
東南アジアの米輸出国から強い円であっという間に、不足分をかっさらってきた。
当然だが、迷惑を被る地域や国も現れる。
インド・ダラムサラのチベット亡命政府が米不足で苦しんでいると聞いた。
なんとか出来ないか?と当時の客から連絡が入った。
おバカな農家は、即反応し、数量にして50俵/60kgほどが集まった。
重量にして3トンになる。
この米を輸入米を割り当てられ、処分に困っている米屋さんと交換することにした。
近在の米やさんと連絡をとり、日本米と長粒種の米を交換した。
どれくらい集まるかと思ってたらなんと40トンも集まってしまった。
日本米の1対13の交換になったことになる。
それでも米屋さんたちは喜んでくれていた。
いろんな思いが脳裏を過ぎったが、まずは、40トンをインド向けに冷蔵コンテナでおくりださなければならない。
当時で運賃が80万円ほどだったかと思う。
この資金も知り合いが出してくれた。
声がけしてくれた方にその旨伝えると、亡命政府日本代表部の代表者と送り出しに日に来られる!と云う。
それならと旧知のマスコミ関係者に声をかけた。
NHKはTVとラジオ。新聞社も地方支局の記者が来てくれた。
日本通運のコンテナを依頼し、一応儀式らしきことをして送り出したが、NHKはラジオの生中継。TVでも5分程度放送していただいた。
それでこの件は終わった!とほっとしていたら、米がダラムサラに到着したとの連絡があった一週間後に、日本代表部を通じて、ダライ・ラマ14世直々に招聘状が届いた。
現役で仕事をしていることもあり、断ろうと考えていたが、声がけしてくれた方が旅費は負担するからとの由。
ならば!とスタッフ一名とコンテナ運賃を出してくれた仏教徒でもある方に声がけをして出向くことにした。
残念なことに、当時はデジカメでないのでデータが残っていない。
紙焼き写真も倉庫の奥にしまってあり、探すのが面倒だから当時、印刷に使った紙焼きをコピーしてみた。
結論から云うと、日の丸とChinaとチベット、ウイグルに目覚めた旅となった。
ハンマーでガツン!程度の衝撃ではありませんでしたね。
14世との謁見も感動でしたが、ヒマラヤ超えをしてきた若き二人の尼僧の話を二時間以上通訳を通じて聞かされた。
もう、人のなせる業では無かった。
涙もみせず、淡々と事実を代るがわる語る二人の若き尼僧。
それを淡々と訳してくれる通訳の女性。
いまでも、当時を思い出すと、うるうるしてくる。
そんなChinaに日本は、狂ったように、出向いている。
経済と政治は別物と仰せの上に・・・。
偉人は街中に居る。
Twitter仲間から教えられた一説。
人物と企業の存在は認識していたが、スジャータの創業者の言葉。
長いこと生きてくると、師匠ばかりであったことに氣づかされる。
むろん、脳裏に遺る言葉を伝えてくれた方が師匠だが、たくさん居る。
一方で、こうしてはいけない! こう生きてはいけない!の見本をたくさん^^;
だから、座右の銘が多すぎて、始末におえない。
有名人の皆さんが残された至言もたくさんある。
20年も通い詰めていながら、伺うまでに17年を要した沖縄最後の海軍司令官。
なぜ? 途中まで行っても、入れなかったからですが・・・。
向き合える勇氣が無かったからです。意氣地なし!なんです^^;
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』の電文を最後に昭和20年6月13日に海軍司令壕にて拳銃自殺された千葉県長生郡出身の大田実氏(中将)
昭和49年3月12日に29年ぶりに祖国へ帰還をした小野田寛郎陸軍少尉。
彼の目に映った29年ぶりの祖国が言葉に表されている。
偉人伝を語るつもりは毛頭ない。
ある時期から人嫌いになり、接触を避けてきた人生。
数少ない人達の支えで生きながらえてきたが、先日も無口なれど、決断の人物に
遭遇した。
人生は、常にYES NOの決断。
右左の選択が人生と断定しても良いくらいに決断を迫られる。
過半の人間は、決断を曖昧にして先送りする。
そこにあるのは、損得とリスク回避が常にあるやに感じる。
リスクの無い決断やリスクを伴わない行動はなかろうと感じて生きている。
いつ死んでもいいように決断の先送りはしないことにしている。
他人にそれを望むのは酷!と感じているからこそ、人との接触を避けてきた。
人を見切るのも嫌だしね~
偉人は街中に居る。
しみじみと感じている。
今日は朝からくもり空。
鬱になりそうな昼。
食事にしましょうかね???
年輪を刻んだ近所のケヤキ。
杢が出ている貴重なケヤキらしい。樹齢300年とも500年とも伝わる。
甲斐の国2 “信玄堤と桃園神社”
年末年始を甲府で過ごした。
30日夕刻に甲府到着、2日の昼に帰郷した。
今回は新しい発見が続いた。
金櫻神社と信玄堤公園のことは、先に書いた。
本来は、もっと早く記憶が定かなうちに書いておくべきだったが、2日以降、爺さんに
とっては、怒涛の日々が続いている。
ほっと、一息した昼寝明けの時間に思い出して書いておくことにした。
信玄堤公園から上流の支流に数km登ったところに、それはあった。
龍は、川の流れを指していたんだろうね?
良きにつけ、悪しきにつけ、龍。
石積出
一番堤から五番まであるようだ。
川の流れを緩やかにする目的だったんであろうね?
海に行くと、砂浜を護る目的で突堤が点在するが、同様の目的だったのかしら?
これは、見事という他ない土木工事の遺蹟。
信玄堤と呼ばれているが、無論、信玄公が指揮したわけではなかろう。
石積みの技術者が存在し、監督していた筈。
このあたりでも、川には、堤と同じ程度の岩がゴロゴロしていた。
驚くのは、ほぼ、当時のままで堤が遺されていたこと。
同様の堤が一番から五番まであったようだが、一番と二番だけ、観てきた。
よほどの技術者が居たんだろうか?
こちらが堤の現在。
二番堤は一段積み、一列。所によっては二段になっていた。
幅は6mほど、高さは3mほどだろうか?
これをすべて人力で積み上げ、激流に耐えたのは凄い!
こちらは、二番堤。大きさがわかると思う。
基礎部分は15mほど?
二番堤よりも遥かに大きい。
修繕は続けていたのであろうが、それにつけても、当時の土木技術は凄すぎ。
武田家は戦国武将にありがちな石垣をもった城壁を築いていない。
昇仙峡の裏道沿いに石積みの畑や田圃が点在していたから、あの技術の応用だったのかしら?
それとも、堤の技術を流用して、石垣のある耕地をつくったんだろうか?
いろんな事を考えさせてくれた信玄堤だった。
桃園神社
他所の土地に行ったら、村社を探して参拝するのが若い時からの習わし。
理由は2点。
その1,初詣は元旦の時報と共に出向くと決めていた。
その2,有名神社は駐車場探すだけで大変だし、事故の可能性が高い。
初詣も例年、村のお不動様への一番乗りを競っていた。
仕事で出掛けても、同様。
元旦に信玄堤探索がてら、GoogleMapで近在の神社を探してみたらあるわあるわ!
水に翻弄されてきた地域だからかしらね?
名もない、誰も参詣者がいない神社を二箇所訪ねた。
甲府盆地は、意外に狭い?と測ってみたら、東西が30km。南北が15km前後。
たぶん、つくば市程度の面積?
四方を山塊に囲まれているコンパクトシティと云うか、全域を甲府市にしてしまっても
良いくらい。貶しているわけではない。
この盆地に、葡萄畑、桃畑、温泉が点在し、ワイン蔵もいくつもある。
ある意味で羨ましい地域。
もう一箇所を訪ねた。
こちらにも参詣者は居ない。
この地域では、地域の社に命名書を奉納するのが習わしのようですね。
あちこちの神社に貼ってありました。
微笑ましい、地域の社の在り方のひとつですね。
途中で出逢った猿の親子連れのお子。 この社の近くに親子が居た。
爺さんは階段で疲れたので平地の社を目指すことにして、途中の光景がこれ。
まぁ甲府ですからね。富士山はつきもの。
昨日、富士山麓は訪問しましたが、なんど観ても富士山は美しい。
桃園神社
清和源氏の始祖である、清和天皇の皇子のひとりの荘園だったようだ。
周辺は桃園が点在していたので、その桃であろうかと思ったら、大間違い。
京都の皇子の在所が桃園であったために名付けられた様子。
氏子さんたちが接待されていたので、立ち話をしばし・・・。
こういうのは愉しいよね。
甘酒をふるまっていたようなので、そのつもりで居たら、お神酒を出された。
思わず呑んでしまった(^^)
帰路は三名がそれぞれ両手に持てないほどのミカンを渡された。
平場の境内は1haほどの杉林。
氏子さんは何戸あるんですの?との問いに、600戸ほど。
昔の村が全部氏子と仰せでした。
帰宅後、調べてみたら、武田を名乗ったのは、新羅三郎義光(源義光)の三代後のようだ。現在のひたちなか市(旧勝田市)武田を領地と定められて以降のようだ。
ただし、悪行の末に配流された地が甲斐の地とされている。
ちなみに、秋田県の佐竹知事は、旧佐竹氏北家出身であり、戦国時代に、常陸太田市を拠点にしていた佐竹氏の末裔であり、武田と同様、源義光を祖としている。
千葉県は、桓武平氏の流れをくんでいる。
平の将門の叔父であった良文の後裔が千葉氏を名乗っている。
源氏隆盛の中、残った貴重な平氏の子孫。
長くなってしまったが、結局は、天皇家の分家嫡流(桓武平氏と清和源氏)と土豪が入り乱れての争いが戦国時代であり、両家の子孫と土豪が東西に分かれて、戦ったのが関ヶ原と云えなくもない。
徳川家は新田氏系源氏を称したようだが、事実はどうであったんだろうね?
桃園神社から遠い旅をしてしまった(^^)
白菜と暖冬
暖冬が続いてます。
爺さん的には歓迎ですが、スキー場やらは大弱りですわね~
またぞろ、CO2削減話が海の向こうから起こりそうですが・・・。
これだけ、暖かいと、家庭の食卓に鍋が置かれる頻度も少なかろうと感じます。
茨城県・西部は白菜の大産地。
日本一では無かろうかと感じます。
白菜農家さんと立ち話していたら、箱代、手間代、肥料、種代を考えると、営業利益でマイナスにはならんが、幾らも残らないわな~と仰せ。
出荷が前倒しになり、2月末には畑に無くなるんではないか?
2月に寒波が続くと、白菜は高値になるわな~ でしたね。
一個2kgもある白菜を6個入り、8個入りでダンボールで出荷されてます。
寒いと収穫が辛い。
暖かいと収穫は楽。
懐は辛い!!! と仰せでした。
晩夏から苗を育て、定植し、収穫。 大変な作業です。
研修生名目のベトナム人が居なくなると、白菜栽培は激減しますね。
アメリカンドリームと自給自足
昨年は、バスケットの八村塁選手が契約年俸3億円で話題になった。
年末年始にかけて、西武の秋山選手が三年総額2100万ドル(21億円強)と報道された。
調べてみたら昨年度のMLB契約最高年俸は、40億円を越してるようだ。
移籍した現役日本人選手の最高年俸は、ヤンキースの田中投手で24億円。
他にも、プロバスケット、アメリカンフットボールあたりが高額年俸。
映画界も桁違いの出演料が支給されてるようだ。
これもネット情報からの拾い物だが・・・。
昨年の出演料最高額は、1位:2,500万ドル(約28億円)
ダニエル・クレイグ『Bond 25(ボンド25)』(2019) ????
確かに格好いいもんね? でも、デカプリオでは無いのね?と調べてみると、
9位タイ:1,000万ドル(約12億円)
レオナルド・ディカプリオ『Once Upon a Time In Hollywood(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド)』(2019)
ほお~っと、感心するが、これだけではわからない。
あくまでも、昨年の主演作があったか否かであるので、それにつけても凄い桁。
もっと高額出演料の俳優が居るはず。
これって、ウオンではありませんからね^^;
円ですから・・・。
圧倒的多数の米国民は、日本人よりも多チャンネルでTV画面を眺めているようだし、ハリウッドは国策で作られた経緯もあるくらいで、地方の映画館は隆盛を極めているようだ。極論すれば、日本人のごとく、あちこちに出掛けて観光なんて事は広すぎて出来ない? ゆえに、衛星放送も含めたスポーツ番組の放映権が高い様子。
因みに、調べてみたら、マリナーズでさえ、年間放映権料が100億円を越している。
それも20年契約だそうだ。
日本のTV放送がどうなっているか不明だが、少なくても地上波でプロ野球を見る機会は激減しているよね。
分母に当たる人口も三分の一もないし。そう考えると、中國、インドは怖い存在だね。
トランプ大統領がChinaを恐れる理由は人口とそれを背景にした経済力であることは良くわかる。
それも自国が輸入超過しているとすれば、敵に塩を送っているようなもんだし、TPPに加盟しない理由も理解できるかと。
米国の企業経営者の年俸が10億円何ぞ当たり前のようだし、経営者が大手企業同士で入れ替わるなんてこともザラの様子。
株式割当も含め、100億円クラスも存在しているようだ。
背景は2点あろうかと推察。
高額年俸は、(税率は知らないが)政府、州政府、自治体に還付される。
その2,米国は努力さえすれば、アチコチにチャンスがチャンスがある国家である。
移民国家である米国。世界の警察を自認する米国にとっては必要な政策だったのかと。
プロの選手も映画人もリタイア後は、牧場を買って、牧場暮らし!が過去の主流だったようだ。
このことは、米国は、文字通り、アメリカン・ドリームの国。
故に、国民は働け! 稼いで税金を納めろ!なのかしらね?
そんな体制の国の置き土産が、国民にだけ三大義務を課した憲法とは、笑える。
教育を受ける権利と義務、働く権利と義務、納税の義務、だったかしら?
国会議員や公務員の義務をうたってないのも笑えるね。
法律をつくった諸君の背景が朧氣に浮かび上がる感。
で自給自足生活。
我が村も含め、地方自治体の収入は、
1)住民税(個人、法人)
2)固定資産税
3)地方交付税
4)その他 が過半。
とりわけ、住民税と固定資産税が重点かと。
仕組みはわからないが、地方交付税は交付自治体と不交付自治体がある。
過半は、1)+2)
ゆえに、大企業が本社を構えている都市や高額収入者が居住している都市は税収が多く、地方交付税の不交付団体になる。
ちょいと雑な色付けになってしまったが、ご容赦くださいましな。
オレンジ丸は原発立地、グリーン丸は企業立地、ブルー丸は住民税と固定資産税でわけてみた。
首都圏に関して云えば、つくば市、守谷市はTX開通後、宅地開発が進み、急激に人口が増加している。伴って、住民税も固定資産税も増加しているものと。
千葉、埼玉、神奈川、東京都下の各都市は、同様でしょうね?
むろん、不交付団体は、総務省がどんなに笛をふけども、合併しない。
そりゃそうだよね~
ついでに、愛知県に不交付団体が多い理由。
もう、これはTOYOTAグループの恩恵と考えて間違いなかろうかと。
最後に、47都道府県で不交付団体は、東京都のみ!
本社が集中していることによる、法人住民税であることは論を待たない!
もう、本日のテーマはおわかりいただけましたね?
そう・・国家でも地方自治体でも税収が無いと成立しないですね~
日本国民の多数が、自給自足生活に向いてしまったら、国家が早晩破綻することになります。
真っ先に東京都が破綻するんでしょうね?
理由ですか?
公開しているIT企業、コンビニの経営体、大手企業。どうして成立しているんですか?
まぁ一部にBtoBだけで成立している企業もありますが・・・。
それでさえ、最終消費は、過半が個人ユースになりますね。
電氣もガスも、燃料も、電話も、食糧も、車も家電製品も、、、。
電車や飛行機ですら、個人消費で成立してますね。
自給自足されたら、購買力が低下するではないですか?
コンビニ売上の20%程度は?弁当とレジ周りかと思いますよ。
いずれも自給生活に入られると成立しない。
稀に、固定資産税の高い、世田谷区あたりで自給自足生活者が現れるかも知れませんが、それとて、固定資産税は宅地並みの課税はされておりませんからね・・。
そうなんです! アメリカンドリームと自給自足生活は、人が生活する上で両端なんですね?
稀に、自給自足生活をしている家族を民放が追っかけますが、皆さんはTRYしてみようと思いますか~
TV局が国税庁、財務省、政府に阿って制作していると考えるのは穿ち過ぎでしょうか?
ということで、久しぶりのBLOGでした~
ちなみに、外を出歩いてみたら、白菜やらネギやらの収穫に勤しんでる皆さんが居られました~ 無論、自給自足ではありませんよ~
でも市場が休みの前日、土曜日なんですよね? 何故?
まぁ冬場は荷傷みも少ないから雨が来ないうちに・・でしょうか?
富士山と甲斐の国の年末、年始 その1
今回の甲斐国訪問は様々な新発見があった。
人生は歴史探訪であることを再認識すると共に日本人に生まれて良かったとシミジミ。
30日に常総線⇒TX⇒武蔵野線⇒中央線(二度)と四回の乗り継ぎで石和温泉駅まで。
暮れであることを失念していたわけでは無いが、選択を誤った。
一昨年の暮れは、中央線を高尾乗り継ぎの鈍行だったから座れた。
今回は、間違えて、立川で特急に乗ったのがいけない。
通路で一時間。
疲れましたけどね。でも、お陰で凝縮の二日間を体験させていただいた。
詳しくは、思い立った折に書くことにして・・・。
31日 (富士山と信玄堤と神社)
快晴の予報もあり、霧の中、朝のまったり時間を過ごして、信玄堤へ。
山梨県は、大月や身延、富士吉田を除くと、甲府盆地に集中している。
甲府盆地全体でひとつの街で良いくらいの面積でしかない。
富士山は、甲府駅からでも40km圏内?
ゆえに、信玄堤も20分ほどで到着。
遺構が遺されていたが、お目当てでは無かった。が、新発見。
岩がゴロゴロしている釜無川にあった。
丸太は付け替えられていたし、石積みも番線で囲われていたから近年の措置なのか?
国交省がやったのか?山梨県がやったのか?は確認出来なかったが、これは無駄金ではありませんね。
ふっと、思った。先の19号の被害が隣県長野は酷かったが、山梨では起こって居なかった様子。歴史上、備えをした地域とそうでない地域の差異かと。
信州は、戦国時代は、武田の領地。いわば占領地だったこともあるのかしらね?と。
治水は一朝一夕は済まないことを教えてくれてるようだ。
同時に利水もうまいことされてた様子で、この付近に大きな取入口もあった。
同時に川を静めるための神社が川岸にあり、元旦に向けて、氏子さんたちが準備に忙しい様子。
既に、大きな日の丸が2竿掲げられていた。
日の丸をみると嬉しくなります。
三社神社は825年創建とされてる様子。
1200年も経ていることになる。
いつも思うが、日本国内での政教分離が叫ばれるたびに、無意味、無関係と感じ続けてきた。自然を畏敬してきたのが日本の神社であり、村社。
神社本庁と靖国神社を攻撃の対象にしているようだが、難癖でしかあるまいね。
まぁ神社本庁のことはわからんが、明治維新以降の戦没者を祀る靖国神社を攻撃するのは、米国のアーリントン墓地を攻撃するようなものかと思うけどね。
まぁ靖国さんも創建時の思いはわかるが、朝敵とされた皆さんも合祀すべきと思うよ。
いずれも国のために戦った皆さんだからね。
東北列藩同盟も、西郷さんもね。
合祀していただきたいと願っている。
ついでに、信玄堤は文字通り、武田信玄公の政策であったろうが、当時から土木と河川に精通していた人物が多数居たことがしのばれます。
信玄は指示しただけで奉行以下の役人と土木技師および近隣住民の多大な労役があってこそであろうかと。
ついでのついでに神社と社論。
たぶん、天皇家以前から、信仰は存在していた。
天皇家の支配と威光を知らしめるために、神社なる概念と社を建立してきたんであろうかと・・・。
支配階層から考えれば、当然の戦略ですわね。
この神社も初見。
金櫻神社とあった。新発見だったが、地元では有名のようだ。
金桜(別名鬱金桜うこん)とも呼ばれるようで、黄色の櫻を咲かせるようだ。
この櫻が御神木で、神社名の由来になっている。
が、創建2000年とある。
元旦の準備で忙しい氏子さんと立ち話をさせていただいたが目からウロコ。
甲府盆地の信仰の中心は、この神社だったようだ。
奥宮が背後の金峰山にあり、そこを創建したのが2000年前とある。
当地に社を建立したのが、1500年前とは氏子さんの弁。
それでも古い。
昇仙峡の通りは、元来が、この神社への参拝道であったことも聞いた。
元旦だと立ち話はさせてもらえませんからね~
長生きすればするほど、知らない世界が広がりますね~
関東平野で見かけることは無かったな~ 櫻は近年ソメイヨシノ一色になった感が否めませんが、数百種類もあるようですね。
考えてみれば当たり前ですが、武田神社は信玄公を祀る。
とすれば、武田家が祈願していた神社が存在したわけで、、、、。
このことも、目からウロコ(^^)
両社ともに、御礼を申し上げてまいりました(^^)
今朝は手と頭が疲れてきたので、ここまで。
次回は、富士山麓編としましょうかね?
今回は、富士山の絵を撮りまくったからね~
10年以上も付き合ってくれてるコンデジでもきれいな画像を残してくれました。
ということで、甲府から最初の富士五湖、精進湖からの富士山です。
ほんと、日本語は難解ですね~
精進料理(しょうじんりょうり) 精進湖(しょうじこ) ^^;
霜柱と雑草と餅つきと・・。
数日 温い日が続いた。
昨夜も同様に、あたたかい夜。
払暁は随分と冷え込んでいた。
朝日が昇ると畑は真っ白。
なぜか、生き残っているモミジの赤と降霜の白が美しかったので。
長靴を履いて出てみた。
今更ながら、生命って凄いね~と云うか凄まじいね~
体内の水分が凍っているにもかかわらず、陽光で霜が溶けると生きかえる。
樹木はこの時期が植え替えの適期。
地中の水分吸収を止めるからだそうだが、休眠するんだろうか?
落葉樹は葉を落としているが、新芽は既に出ている。
厳冬期を新芽で潜らせて、春先に萌芽。
ほんと、自然は凄まじい。
朝から何度目かの凄まじさを感じている。
子どもの頃、このあたりの農家は師走には、味噌やら納豆やらの仕込みをしていた。
今日は29日。
縁戚やら近所やらが集まって正月用の餅を庭でついた。
庭先でもち米を蒸し、その場で臼と杵で餅をつき、皆でアンコやきな粉にして食した。
とても、豊かな時代と光景だったと感じる。
農家も12月~1月は畑に出ずに、普段出来ない作業をしてましたね~
筵や縄を編んでいた記憶もあるね~
ただの爺さんのノスタルジーかも知れないね~と自嘲の朝。