もうひとつの下妻物語(卍や七代目)

二十数年ぶりに帰郷。まぁ当たり前だが、激変ぶりに浦島太郎の氣分に陥っている。温故知新。古きを訪ねる記。使っている画像は自分で撮影したもの。借り物の場合は其の旨記載します。人生の整理をするために書き残そうと考えてます。過激と思われることも多々あろうが、日本が好きだから、許せないことは明白にしておきたい。むろん、残り少ない人生でもあり、子孫への遺言でもある^^;

下妻物語

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下妻物語ポスター


15年になるんだろうか?

日比谷東宝で看板が目に留まり、観た映画『下妻物語』。

平日の夕方と記憶している。観客は疎ら。

そりゃそうだ・・。下妻なんて都民の中で知ってる者、興味のある者は1,000人程度であろうと。

 

未だに記憶に残ってる場面が数箇所ある。

1,JUSCO行ぐべ!のフレーズ

2,田んぼのあぜ道の乳牛と深田恭子

3,横瀬夜雨生家に住む、今は亡き樹木希林宮迫博之の親子。

まぁツッコミどころ満載の映画だったが、楽しく観た記憶がある。

 

もう一点。

上映中に前方の一群だけが笑いのツボが一緒だった。

確認出来なかったが、あれは地元民の一群では無かったろうか?

邦画はまず観ることは無いが、タイトルに惹かれて観せていただいた。

 

在京時はもっぱら、ハリウッドに投資。有楽町マリオンに行っていた。

割引券の販売所に立ち寄り、数百円安い入場券を手にしてね。

考えてみるとセコいが、暇があれば一人で観ていた。

ラスト・サムライのポスターが掛かっているから、随分と昔の絵ですね。

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有楽町マリオン(元は朝日新聞東京本社)

2年前に両親が相次いで他界し、後始末もあり、帰郷した。

茨城空港から水戸までバスで行き、水戸線に乗り下館で夜。

下館駅前で一泊し、翌日常総線に乗り下妻。

誰かに電話し、迎えを依頼する方法もあったが、やめてバスに乗ってみようと考えた。

もうひとつ、駅前の母校を観ておきたかった。

田舎の村から町場(まちば)の高校に入学し、青天の霹靂を三年間体験した世界。

入学したのは昭和41年。世の中はいけいけ!の時代でもあり、混沌の時代でもあった。

 

昭和39年に東京オリンピックが開催され、伴い、東海道新幹線が開通し、首藤高速も開業した。

池田内閣の所得倍増計画と家電、自動車を中心にした製造業が成長を遂げ始めた時代。

一方で、水俣病イタイイタイ病四日市ぜんそく新潟水俣病が表面化し、公害なる言葉が表面化していた時代。

成長に伴う歪が社会のあちこちで噴出していた時代でもあった。

県内でも霞ヶ浦の高浜入り干拓事業計画があり、周辺農家と漁師が反対運動を起こし、事業計画が頓挫している(※霞ヶ浦住民の闘い―高浜入干拓阻止の証言―』)

 

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高浜入干拓予定地より筑波山

同じころ、東大や日大に拠点をもつ学生運動全共闘』が台頭し、昭和40年に三里塚に新空港建設の閣議決定がなされ、共産党主導の反対運動と組織化が進み、過激派が台頭していた時代であった。

共産系と非共産系が闘争し、傍らで、学生と機動隊が衝突を繰り返していた文字通り混沌の時代が昭和40年代。

その後過激派になった学生運動は、昭和52年の連合赤軍による浅間山荘事件で終焉に向かう。

 

記憶は定かではないが、小学、中学と同じ村の生徒だけが通う世界。

そこから、県内60前後の中学から生徒が集う高校への入学。そりゃ環境も氏素性も違う世界の同世代。戸惑うばかりの一年間だったやに記憶している。

 

当時の面影は、駅前には無かった。

構内に併設されていた売店も無い。駅前のタクシーも建物ごと無い。

バスプールにもバスが数台。

あとで知ったが、一時停止違反車を監視していたパトカーが一台。

あれ? バス路線が無い!

止むを得ず、タクシーで帰宅した。

爾来2年間。後始末に追われながら、村と町を観続けてきた。

沈むな~この町は・・・・を感じながら。

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昔から変わらない常総線ジーゼルカー

 

現代社会の交通手段は、鉄道と車と飛行機。

高校に自転車やバイクで通っていた時代とは、人の移動距離も目的も様変わりしている。当時、現在のつくば市内から通っていた生徒も結構な数が居た。

国鉄バスからゾロゾロと降りてくるのは、ど田舎の生徒と決まっていた。

民間が走らない地域を国鉄がカバーしていた時代。

そのつくば市も合併し、TXで秋葉原まで40分で行けるようになった。

沿線も様変わりして、駅前には、とても茨城の風景とは思えないマンションが林立し、郊外には戸建て住宅が次々に建ちならび、道路も新設が進んでいる。

 

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つくば中心部

 

最寄りの新幹線の駅は、栃木県小山駅。最寄りの高速道路ICは最近開通した圏央道常総IC。北関東自動車道東北自動車道常磐自動車道の各ICまでは一時間を要する。

そう・・・谷間の町へと変貌を遂げていた。

村にあったJAの支所は廃止されていて、商店街はほぼ、壊滅。

辛うじて、理髪店と家族経営のGSが営業を続けている。

まるで、浦島太郎。

 

後始末に追われて2年間。

最悪は密かな侵入者、竹。文字通り音もなく侵入し、竹の子は一ヶ月で竹林に育つ。

育ってしまった孟宗竹は切り倒すだけでも労力。

最盛期には、3日も見逃せば竹林に変貌する。

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静かなる侵入者。

 

仕事をしていた地域へ戻る氣は失せつつある。別の方法で関わりを続ければ良いかと考え方が変貌している。

億劫な年齢になったこと、村や地域が消滅していくのを眺めたく無くなったこと。

まだまだ間に合う筈。

 

大いなる首都圏の田舎町として、なにかを遺せる筈と考えるまでに2年を要した。

だって、生まれ故郷であり、育った村でもあるからね。

思い出が点在し過ぎている。

 

そう・・・鮭が生まれ故郷に戻り子孫を遺すことと同様かも知れない。

鮭は雌雄共に産卵し、生涯を終えるようだが、、、、。

爺様の下妻物語を書いてみたいと突然思い立った。

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樺太マスの遡上(知床にて)