天神講とクリスマスと正月
子どもの頃(たぶん昭和30年代初頭)の冬休み。
当然だが、田舎村には、クリスマスなんて言葉も無かった時代。
冬休みになると、25日?に持ち回りで天神講なる催しがあった。
菅原道真公にあやかり、学問に精を出して欲しい!の願いがあった慣習。
もっとも、当時は、菅原道真公を知らない子どもたちばかり。
が天神講は知っていた。
愉しみは、近隣の子供たちが一同に会し、当番のお宅で用意してくれた主に五目ご飯をみんなで食べること。
冬休みの何よりの愉しみだったが、いつの間にか消滅した。
代わりに、高度経済成長が、クリスマスなるものを日本に持ち込んだ。
考えてみれば、日本人って、外国の風俗習慣を取り込んで、独自のモノに変えてしまう
能力に長けてますね~
キリストの存在は知らんでも、Xmasは知っている。
ホールケーキが小売店の店頭に並ぶようになったのは昭和40年代だろうか?
パンメーカーが早くから作り置きし、冷蔵庫に山のようにしている仕組みは後にバレた。豊かになること=消費活動だった時代でもあり、Xmasはきっかけに過ぎなかったんだろうね?
帰郷して以降、滅多に暗くなってから外出することは無い。
先日、所用で止むを得ず、暗くなってから出かけた。
驚いた。
こんな田舎でも、イルミネーションを飾っている家があちこちにある。
そ~なんだ~ 小さなお子さんが居るのね?
家族で楽しみにしているのね?と家庭が透けてみえて、微笑ましいなぁと。
東京に20年弱居住した。
上京した年であろうか?
東京駅丸の内でイベントがあった。
おのぼりさんでもあり、観に行ったが、雑踏の中を一方通行で歩かされた。
とても、綺麗だったが、異次元空間に迷い込んだ感が否めなかったひととき。
世紀をまたぐイベントとして数年間続いていたやに記憶している。
たぶん、丸の内の管理人さん、三菱地所が中心のイベントであったろう。
バブル崩壊の後遺症も癒えつつあり、丸の内村も再開発が始まった頃。
丸の内の存在感を示したい意図もあったんだろうね?
あれから20年。
東京駅も改装がなり、御成道路も綺麗に整備された。
今年は、趣向を変えてイベントがあるようだ。
三菱村らしく、派手すぎず、地味すぎずなのかしらね?
東京ミチテラス2019なるイベントがあるようだ。
故郷に戻り改めて感じるが、東京なる存在は、文字通り異次元。
最強の観光都市であり、最強のイベント空間であり、最強の消費都市であり・・・・。
江戸幕府以来、416年。
明治維新からでも、150年。日本の中心としての地位は揺るがない。
とりわけ、幕府は参勤交代で江戸詰めを強い、維新政府は中央集権化で富の集中を行った。東京に集中するのは必然なんであろうね。
で、天神講。
いつから消滅したのか?記憶が定かでないが、たぶん、昭和35年前後には消滅してる。TVが入りだし、子供たちが外でつるんで遊ぶことも無くなった時代。
あの頃の冬休みと云えば、子どもたちは里山に入り浸っていた。
カスミ網派とトリモチ派に別れて、もっぱら野鳥の密猟をしていた。
渡り鳥が増え、里山には木の実が落ちて、野鳥が豊富だった時代。
付近の里山は、この季節には、落ち葉を農家が集めていたから遊び場所としても、優れていた。現在のように、笹竹が生い茂り放置されたものでは無かった。
林の空間にカスミ網を仕掛け、野鳥が飛び交うのをじっと待つ。
網にかかれば即確保。
売れる野鳥(シジュウカラ、メジロ、ヤマガラ)は持参した靴下に入れ、野鳩やツグミはその場で首を締める。
前者は販売し、後者は焼き鳥で食べる。これがカスミ網派。
一方でトリモチ派。
秋の間に孟宗竹を使って、鳥かごを作る。
カスミ網で獲った鳥をおとりにしたり、熱心な子どもは一年間飼い続ける。
新しい鳥かごだと、野鳥が警戒するので、畑の土で、カゴの存在を薄めて林に入る。
籠の上に番線を付けて、途中にトリモチを塗った枝を挿す。
あとは、野鳥の通り道の降りやすい樹を探し、じ~っと待つ。
その自慢話が天神講の主役だった。
が、当時の里山遊びで得た知恵は後の人生の宝になる。
自然の掟、森の掟、野鳥の生態、いろんなことを学んだ。
60年も昔の皆が貧乏だったが、豊かな時代でした。
まぁモノが溢れているゲンダイも豊かと云えば豊かですわね。
先日、行きつけのスーパー店頭で見かけた正月飾り。
いやぁ見事でしたね~
こちらは、納入業者さんは不明だが、これも見事。
師走は忙しないですね。世間は・・・・。
そんな世間とは距離を置く高齢者^^;