もうひとつの下妻物語(卍や七代目)

二十数年ぶりに帰郷。まぁ当たり前だが、激変ぶりに浦島太郎の氣分に陥っている。温故知新。古きを訪ねる記。使っている画像は自分で撮影したもの。借り物の場合は其の旨記載します。人生の整理をするために書き残そうと考えてます。過激と思われることも多々あろうが、日本が好きだから、許せないことは明白にしておきたい。むろん、残り少ない人生でもあり、子孫への遺言でもある^^;

Chinaとチベットとダラムサラ訪問記

数日前からコロナウイルスSNS上を飛び交ってる。

新聞協会曰く、SNSは流言飛語だらけらしいが・・・・。

かくいう新聞社はどうなんだろうね?

 

米国のCDC(疾病管理予防センター)はいち早く、全員検査を打ち出していたが、別ソースから(米国発だが)細菌研究所から漏れ出したとの情報も入っている。

たぶん、表沙汰になることはあるまいが、SARSにしろ、MERSにしろ、当時から細菌兵器の噂は絶えない。

アフリカ発のエボラも同様に怪しんでいる人達は多いようだ。

そもそも、感染症の元となるウイルスが突然変異して猛威をふるうものだろうか?

人類が数百万年も生き延びてきたこと、有史以来最大の感染症は14世紀欧州で発生したペスト(黒死病)全世界で一億人が死亡したとされている。

20世紀に入り、戦争の戦略兵器として、細菌兵器が研究されてきたようだが、各国共に地下に潜った研究となっていて、実態は誰もわからない。

アホな人類の究極兵器は、細菌兵器であることは疑いの余地が無いし、そう思われても不思議ではない、昨今のウイルス騒動。

 

それはさておき、米騒動の話題。

久しく起きてないし、輸出入で先進国は賄っているようだが、人類の最大の課題は、食糧確保。

世界の飢餓人口は、2017年の統計で8億人を超えているそうだ。

背景は様々あろう。内戦による耕地の荒廃。紛争による耕地の荒廃。

たぶん、最大の要因は、醜い人類同士の争いに起因しているんであろう。

とすると、飢餓人口は増えることはあっても減ることはなさそうな感。

紛争の火種にガソリンを撒いている連中が居る!と指摘されてる皆さんも多い。

 

記憶している方もあろうかと思うが、1993年に米騒動が起きた。

要因は、冷夏により、東北地方が作況指数平均50前後と極めて稀な数値だった。

とりわけ、ヤマセの吹き込む青森は悲惨で作況以前に出穂すら無い収穫皆無の地域も

出現した。

国内の年間の消費量に対して生産量が200万トンも不足したとされている。

世界に影響を及ぼし、東南アジアから長粒種を緊急輸入する事態に陥った。

原因は、1991年のフィリッピンピナツボ火山の噴火によるものとされている。

が当時はバブル真っ最中。

昔と違い、農家ですら備蓄米は一年分しか保管しないのが現状。

そう・・・飢饉で餓死者が出たことは忘れてしまっている日本。

東南アジアの米輸出国から強い円であっという間に、不足分をかっさらってきた。

当然だが、迷惑を被る地域や国も現れる。

インド・ダラムサラチベット亡命政府が米不足で苦しんでいると聞いた。

なんとか出来ないか?と当時の客から連絡が入った。

おバカな農家は、即反応し、数量にして50俵/60kgほどが集まった。

重量にして3トンになる。

この米を輸入米を割り当てられ、処分に困っている米屋さんと交換することにした。

近在の米やさんと連絡をとり、日本米と長粒種の米を交換した。

どれくらい集まるかと思ってたらなんと40トンも集まってしまった。

日本米の1対13の交換になったことになる。

それでも米屋さんたちは喜んでくれていた。

いろんな思いが脳裏を過ぎったが、まずは、40トンをインド向けに冷蔵コンテナでおくりださなければならない。

当時で運賃が80万円ほどだったかと思う。

この資金も知り合いが出してくれた。

 

声がけしてくれた方にその旨伝えると、亡命政府日本代表部の代表者と送り出しに日に来られる!と云う。

それならと旧知のマスコミ関係者に声をかけた。

NHKはTVとラジオ。新聞社も地方支局の記者が来てくれた。

日本通運のコンテナを依頼し、一応儀式らしきことをして送り出したが、NHKはラジオの生中継。TVでも5分程度放送していただいた。

それでこの件は終わった!とほっとしていたら、米がダラムサラに到着したとの連絡があった一週間後に、日本代表部を通じて、ダライ・ラマ14世直々に招聘状が届いた。

現役で仕事をしていることもあり、断ろうと考えていたが、声がけしてくれた方が旅費は負担するからとの由。

ならば!とスタッフ一名とコンテナ運賃を出してくれた仏教徒でもある方に声がけをして出向くことにした。

 

残念なことに、当時はデジカメでないのでデータが残っていない。

紙焼き写真も倉庫の奥にしまってあり、探すのが面倒だから当時、印刷に使った紙焼きをコピーしてみた。

結論から云うと、日の丸とChinaとチベットウイグルに目覚めた旅となった。

ハンマーでガツン!程度の衝撃ではありませんでしたね。

14世との謁見も感動でしたが、ヒマラヤ超えをしてきた若き二人の尼僧の話を二時間以上通訳を通じて聞かされた。

 

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子供たちの笑顔と、うら若き尼僧の体験に距離が有りすぎましたね。


もう、人のなせる業では無かった。

涙もみせず、淡々と事実を代るがわる語る二人の若き尼僧。

それを淡々と訳してくれる通訳の女性。

いまでも、当時を思い出すと、うるうるしてくる。

そんなChinaに日本は、狂ったように、出向いている。

経済と政治は別物と仰せの上に・・・。

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