もうひとつの下妻物語(卍や七代目)

二十数年ぶりに帰郷。まぁ当たり前だが、激変ぶりに浦島太郎の氣分に陥っている。温故知新。古きを訪ねる記。使っている画像は自分で撮影したもの。借り物の場合は其の旨記載します。人生の整理をするために書き残そうと考えてます。過激と思われることも多々あろうが、日本が好きだから、許せないことは明白にしておきたい。むろん、残り少ない人生でもあり、子孫への遺言でもある^^;

初体験の街中探訪

今朝も雨が続いている。

雨の中、打ち上げ花火が。祭りの案内なんだろね。

準備を重ねてきた皆さんは、ガッカリですね。

 

遥か昔はこの時期、街をあげて文化祭なるものをしていた。

昭和30年代のことか?

小学校や高校の敷地も建物も一色に染まり、会場は人で溢れていた。

交通手段も精々がオートバイの時代。

それもごくごく少数の皆さんが保有していた時代のこと。

出回り始めた耕運機やトラックが所せましと展示され人々が群がっていた。

そんな祭りが細々と続いており、祭りの一環で街中探訪イベントがあった。

温故知新。

齢を重ねると、昔話を盛んに持ち出すようになる。

同様に、歴史への興味が増してくるようだ。

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昭和30年代半ばの子どもたち^^;

残念なことに、街中探訪(主にお寺さん)は雨天のため、中止。

街中に残る名建築を訪問させていただいた。

ボランティア団体が主催?と思ったが、役所の様子。

このあたりは、曖昧にしているようだが、明らかに役所。

田舎では過半の行事が役所中心に回らざるを得ないのは自明。

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初めて訪れた天台宗のお寺さん

そんなわけで、街歩きは中止になり、最終目的地である豪邸へ。

建坪は110坪とあった。

一時期は結婚式場にもされていた立派な庭を持つ、豪邸。

四十数年ぶりに訪ねたが、視点が変わりますね?

当時は目もくれてなかった建材の数々。

天井も廊下も、あがり框も全て無垢板。当時のままのようだ。

ふっと、小岩井農場にある、岩崎家邸宅を思い出した。

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外観と玄関にあった、一枚板の引き戸。

建築は昭和2ねんとあったやに記憶しているが、凄いねえ・・。

建具も天井も床も柱も欄間も色褪せてない。

柱は檜の四方柾。

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杉材だと30年も経つと、黒ずむが、檜は肌色のまま。

プレハブ建築が盛んになり、戸建て建築も地場の大工さんたちの出番が減っている。

政治だけでなく、経済も中央集権になってる感が否めませんが、古来からの建築技術と

選別眼に恐れ入ったひととき。

でも、これを護っていくのは大変だよね~

宅地だろうから固定資産税も多額、暮らすには不便。

維持するには、掃除もメンテナンスも必要であろうし、、、、。

鳩山邸が個人から財団に移されたごとく、なんらかの対応を当主は考えて

おられることと思うが。

下手すると、遺産ではなく、負債になりかねません。

 

主催者が手配してくれた演目がふたつありました。

筑波山で伝わるガマの油売りの口上と趣味で琵琶を奏でて居られる方の演奏?

掲示しておきます。

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どちらも趣味?のご様子。良い趣味ですね。

解散後、そぞろ歩きをしてみた。

いろんな発見をさせていただいたひとときでした。

一生勉強、一生好奇心ですね。

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変電所前に尾瀬林業の看板^^; 街中に海外の方のカフェ?

尾瀬林業は文字通り、尾瀬ヶ原を所有管理している東電管理会社。

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紅葉した蔦が張る建築物と神社の公孫樹とケヤキの大木