もうひとつの下妻物語(卍や七代目)

二十数年ぶりに帰郷。まぁ当たり前だが、激変ぶりに浦島太郎の氣分に陥っている。温故知新。古きを訪ねる記。使っている画像は自分で撮影したもの。借り物の場合は其の旨記載します。人生の整理をするために書き残そうと考えてます。過激と思われることも多々あろうが、日本が好きだから、許せないことは明白にしておきたい。むろん、残り少ない人生でもあり、子孫への遺言でもある^^;

偉人は街中に居る。

Twitter仲間から教えられた一説。

人物と企業の存在は認識していたが、スジャータの創業者の言葉。

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長いこと生きてくると、師匠ばかりであったことに氣づかされる。

むろん、脳裏に遺る言葉を伝えてくれた方が師匠だが、たくさん居る。

一方で、こうしてはいけない! こう生きてはいけない!の見本をたくさん^^;

だから、座右の銘が多すぎて、始末におえない。

有名人の皆さんが残された至言もたくさんある。

20年も通い詰めていながら、伺うまでに17年を要した沖縄最後の海軍司令官。

なぜ? 途中まで行っても、入れなかったからですが・・・。

向き合える勇氣が無かったからです。意氣地なし!なんです^^;

 

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』の電文を最後に昭和20年6月13日に海軍司令壕にて拳銃自殺された千葉県長生郡出身の大田実氏(中将)

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千葉県長生郡の生家に建てられた顕彰碑。 南部戦跡に遺る海軍司令部壕。

 

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昭和49年3月12日に29年ぶりに祖国へ帰還をした小野田寛郎陸軍少尉。

彼の目に映った29年ぶりの祖国が言葉に表されている。

 

偉人伝を語るつもりは毛頭ない。

ある時期から人嫌いになり、接触を避けてきた人生。

数少ない人達の支えで生きながらえてきたが、先日も無口なれど、決断の人物に

遭遇した。

 

人生は、常にYES NOの決断。

右左の選択が人生と断定しても良いくらいに決断を迫られる。

過半の人間は、決断を曖昧にして先送りする。

そこにあるのは、損得とリスク回避が常にあるやに感じる。

 

リスクの無い決断やリスクを伴わない行動はなかろうと感じて生きている。

いつ死んでもいいように決断の先送りはしないことにしている。

他人にそれを望むのは酷!と感じているからこそ、人との接触を避けてきた。

 

人を見切るのも嫌だしね~

偉人は街中に居る。

しみじみと感じている。

 

今日は朝からくもり空。

鬱になりそうな昼。

食事にしましょうかね???

 

年輪を刻んだ近所のケヤキ

杢が出ている貴重なケヤキらしい。樹齢300年とも500年とも伝わる。

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近所のけやき