やんばる・辺戸区のオジイたち
当時のデジカメの性能はこんなものでしかなかったが・・・・。
辺戸区から一時間も要して、本部港まで来ていただいた。
辺戸区との因縁は後に、書くことにするが、一本のメールが縁の始まり。
辺戸に生まれた同級生のオジイ二人とオバアがひとり。
運転は定年退職したばかりの60歳の女性。
齢を聞くと、父親とほぼ、同じ。
悪い癖で、話を聞くうちに、どんどん感情移入していく自分が居た。
当時は、請われて公益法人に身をおいたばかり。
普通に考えれば、適当に話を聞いて、聞き流しすれば良いし、返事はあとにしても良い。が同行者が似たような皆さんで、盛んに目線を送ってくる。
やろうよ!! と。
判官贔屓と親孝行?の2つが重ねってしまい、其の場で決断した。
応援します。
二週間後に入ります!! と。
お一人は数年前に他界された。
闘争の過程での氣苦労もあったろうし、なによりも身体を痛めた。
訪れる都度、共同売店の店番をしながら、杖を付いて、飲料やらビールやらを届けてくれたオジイ。
口数は少ないが、氣配りをされるオジイだった。
玉城さんと云い、我々はタマちゃんとかタマ爺とか呼んでいた。
今は、お嬢さんが共同売店の店番をされてるようだ。
もうひとりの同級生のオジイはもっと、オカシイ。
性格はタマ爺とは違うが、何でも聞くと教えてくれる優しさに溢れたオジイ。
このお宅は訪ねると失礼するのが大変だった。
同行者に事務所のオンナのコを連れて行くと、オバアが一万円札を畳んで渡そうとする。30歳だろうが、40歳だろうが、とにかく、オンナのコには渡そうとする。
なんど、遭遇して、なんどお断りしたことだろう。
とても、愉しい人達だったが、オバアは先年他界されて、オジイは施設に入られた様子。タマ爺が亡くなってから急に身体を悪くされてたらしい。
二卵性双生児のごとく、常に寄り添っていた二人だったからね。
たぶん、あと何度かに分けないと辺戸区のことは書けない。
ちょろっと書きたいが、40代後半から縁が続いている地域であり、思い入れもたくさん連なっている。
なんと云っても、県と国頭村を相手に、60人前後の還暦過ぎたオジイ、オバアが闘い、勝利した地域。
それだけではない。闘争をすれば、確実に役所とは距離が出来る。
そのことを認識して玉城の爺さんの遺言もある。
背負いきれないものは諦めるしかないが、人生の1ページどころでは無かったからね。
ジイにも施設に会いに行かねばと考えてる。