もうひとつの下妻物語(卍や七代目)

二十数年ぶりに帰郷。まぁ当たり前だが、激変ぶりに浦島太郎の氣分に陥っている。温故知新。古きを訪ねる記。使っている画像は自分で撮影したもの。借り物の場合は其の旨記載します。人生の整理をするために書き残そうと考えてます。過激と思われることも多々あろうが、日本が好きだから、許せないことは明白にしておきたい。むろん、残り少ない人生でもあり、子孫への遺言でもある^^;

やんばる・辺戸区のオジイたち

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このお二人との初対面は、20年前の本部港だった。

当時のデジカメの性能はこんなものでしかなかったが・・・・。

辺戸区から一時間も要して、本部港まで来ていただいた。

辺戸区との因縁は後に、書くことにするが、一本のメールが縁の始まり。

 

辺戸に生まれた同級生のオジイ二人とオバアがひとり。

運転は定年退職したばかりの60歳の女性。

齢を聞くと、父親とほぼ、同じ。

悪い癖で、話を聞くうちに、どんどん感情移入していく自分が居た。

当時は、請われて公益法人に身をおいたばかり。

普通に考えれば、適当に話を聞いて、聞き流しすれば良いし、返事はあとにしても良い。が同行者が似たような皆さんで、盛んに目線を送ってくる。

やろうよ!! と。

判官贔屓と親孝行?の2つが重ねってしまい、其の場で決断した。

応援します。

二週間後に入ります!! と。

 

お一人は数年前に他界された。

闘争の過程での氣苦労もあったろうし、なによりも身体を痛めた。

訪れる都度、共同売店の店番をしながら、杖を付いて、飲料やらビールやらを届けてくれたオジイ。

口数は少ないが、氣配りをされるオジイだった。

玉城さんと云い、我々はタマちゃんとかタマ爺とか呼んでいた。

今は、お嬢さんが共同売店の店番をされてるようだ。

 

もうひとりの同級生のオジイはもっと、オカシイ。

性格はタマ爺とは違うが、何でも聞くと教えてくれる優しさに溢れたオジイ。

このお宅は訪ねると失礼するのが大変だった。

同行者に事務所のオンナのコを連れて行くと、オバアが一万円札を畳んで渡そうとする。30歳だろうが、40歳だろうが、とにかく、オンナのコには渡そうとする。

なんど、遭遇して、なんどお断りしたことだろう。

とても、愉しい人達だったが、オバアは先年他界されて、オジイは施設に入られた様子。タマ爺が亡くなってから急に身体を悪くされてたらしい。

二卵性双生児のごとく、常に寄り添っていた二人だったからね。

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安須森御嶽と漆喰とシーサー。 いまでは、少なくなった共同売店

たぶん、あと何度かに分けないと辺戸区のことは書けない。

ちょろっと書きたいが、40代後半から縁が続いている地域であり、思い入れもたくさん連なっている。

なんと云っても、県と国頭村を相手に、60人前後の還暦過ぎたオジイ、オバアが闘い、勝利した地域。

それだけではない。闘争をすれば、確実に役所とは距離が出来る。

そのことを認識して玉城の爺さんの遺言もある。

背負いきれないものは諦めるしかないが、人生の1ページどころでは無かったからね。

ジイにも施設に会いに行かねばと考えてる。

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安須森御嶽と一万円札のオジイ。