もうひとつの下妻物語(卍や七代目)

二十数年ぶりに帰郷。まぁ当たり前だが、激変ぶりに浦島太郎の氣分に陥っている。温故知新。古きを訪ねる記。使っている画像は自分で撮影したもの。借り物の場合は其の旨記載します。人生の整理をするために書き残そうと考えてます。過激と思われることも多々あろうが、日本が好きだから、許せないことは明白にしておきたい。むろん、残り少ない人生でもあり、子孫への遺言でもある^^;

やんばる・辺戸区のオジイたち

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このお二人との初対面は、20年前の本部港だった。

当時のデジカメの性能はこんなものでしかなかったが・・・・。

辺戸区から一時間も要して、本部港まで来ていただいた。

辺戸区との因縁は後に、書くことにするが、一本のメールが縁の始まり。

 

辺戸に生まれた同級生のオジイ二人とオバアがひとり。

運転は定年退職したばかりの60歳の女性。

齢を聞くと、父親とほぼ、同じ。

悪い癖で、話を聞くうちに、どんどん感情移入していく自分が居た。

当時は、請われて公益法人に身をおいたばかり。

普通に考えれば、適当に話を聞いて、聞き流しすれば良いし、返事はあとにしても良い。が同行者が似たような皆さんで、盛んに目線を送ってくる。

やろうよ!! と。

判官贔屓と親孝行?の2つが重ねってしまい、其の場で決断した。

応援します。

二週間後に入ります!! と。

 

お一人は数年前に他界された。

闘争の過程での氣苦労もあったろうし、なによりも身体を痛めた。

訪れる都度、共同売店の店番をしながら、杖を付いて、飲料やらビールやらを届けてくれたオジイ。

口数は少ないが、氣配りをされるオジイだった。

玉城さんと云い、我々はタマちゃんとかタマ爺とか呼んでいた。

今は、お嬢さんが共同売店の店番をされてるようだ。

 

もうひとりの同級生のオジイはもっと、オカシイ。

性格はタマ爺とは違うが、何でも聞くと教えてくれる優しさに溢れたオジイ。

このお宅は訪ねると失礼するのが大変だった。

同行者に事務所のオンナのコを連れて行くと、オバアが一万円札を畳んで渡そうとする。30歳だろうが、40歳だろうが、とにかく、オンナのコには渡そうとする。

なんど、遭遇して、なんどお断りしたことだろう。

とても、愉しい人達だったが、オバアは先年他界されて、オジイは施設に入られた様子。タマ爺が亡くなってから急に身体を悪くされてたらしい。

二卵性双生児のごとく、常に寄り添っていた二人だったからね。

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安須森御嶽と漆喰とシーサー。 いまでは、少なくなった共同売店

たぶん、あと何度かに分けないと辺戸区のことは書けない。

ちょろっと書きたいが、40代後半から縁が続いている地域であり、思い入れもたくさん連なっている。

なんと云っても、県と国頭村を相手に、60人前後の還暦過ぎたオジイ、オバアが闘い、勝利した地域。

それだけではない。闘争をすれば、確実に役所とは距離が出来る。

そのことを認識して玉城の爺さんの遺言もある。

背負いきれないものは諦めるしかないが、人生の1ページどころでは無かったからね。

ジイにも施設に会いに行かねばと考えてる。

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安須森御嶽と一万円札のオジイ。

 

 

我以外皆師(縁は必然)

一生の間に何人と出会うんだろう?

両親、祖父母、兄弟姉妹、伯父伯母、従兄弟、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、アルバイト、社会人・・・・・。 

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たぶん、昭和35年前後

善いことも悪しきことも全て、人から学んだ。

 

家族、近所の住民、近所の子どもたち、同級生、上級生、下級生、教員の皆さん。

学校行事に来られる来賓の皆さん。

それこそ限りない。

むろん、社会の一員になって以降の人との邂逅は教育現場のそれとはわけが違う。

同じ社会人でも組織人と個人事業主では、それこそ、月とスッポン、太陽とゴキブリほどの差異がある。

中学時代の関数の授業中、ふっと脳裏を過ぎったことがあり、授業中にず~っと計算をしていた。n乗という奴であり。

2☓2☓2☓2☓2☓2☓2☓2☓2☓2☓・・・を40乗までやった。

10乗=1,024

20乗=1,048,576

30乗=1,073,741,824

40乗=1,099,511,627,776

後に氣づいた。

あれっ? 先祖の数じゃね? 

10代遡ると、先祖が1,024人も居るんだ~??

あれ~??

後に、東大工学部卒の極めて優秀な人物に聞いてみたことがある。

一代を30年とすれば、30代遡れば、900年。

40代遡れば、1,200年。

大化の改新の頃に、先祖が5000億人も居たことになるが、どういうこと?

なにやら答えを導いてくれてたが、納得出来ていないし、未だに納得出来ない。

ゆえに、この件は封印してある。

 

当時の結論は、奇跡の末にこの世に生を受けた。

だから、愉しませていただかないといけない! だったし、今でもそう考えている。

生命が誕生するって、数学的には奇跡でしか無いんだよね。

女性だけが持つ原始卵胞には、当初200万個内包してるそうだ。

男性の精子は一度に3億個(匹?)放出するらしい。

確率は氣が遠くなりますね~

ゆえに、このコトも置いといて、人がこの世に誕生すると云うことは奇跡!

そう・・・人は皆、奇跡の子なんですね。

 

その奇跡の子同士が同じ時代に生まれ、時には会話する。

稀に、数十年もおつきあいを続ける。

これは神の業でしかあるまい。

近年は、永年雇用が崩れ去ろうとしている。

成長だけは急激だったが、常に人手不足だった昭和の時代とは事情を異にしている。

韓国では、新卒大学生、若年層の失業率が極めて高い。

日本と韓国の大きな違いは、産業全体の裾野の違いがあろう。

日本の製造業の裾野は極めて広い。

明治に勃興した企業群が素材産業として生き残っており、夫々が独自技術を持ち、独自製品を産み出し、世界シェアも高い。

人の目に触れることの無い製造業が極めて多い。

石炭も含めた、鉱業関連から生まれた企業群。

たぶん、この企業群が日本の雇用を下支えしている。


社会人の一歩はとりあえず、企業人!が成立し得ない時代がそこにある。

安定雇用をし続けた製造業の進化と社会の変化が著しい。

NETとスマホは、まだまだ、進化を遂げ続ける。

昭和や平成と違い、令和に生きるのは、とても難しいとも感じるし、否、簡単になる、

とも感じる。

 

が、奇跡の末に生を受けた者同士が出会い、切磋琢磨しながら佳き人生をおくって欲しいもんだ、と念じる。

そう・・すべてが必然だし、この時代に生きるのは、自分で選んだわけでもある。

兄弟になった可能性のある3億分の1の競争を勝ち抜いてこの世に生まれたイノチ。

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土の顕微鏡画像(1,000倍)過半は微生物。

 

 

 

 

 

 

天神講とクリスマスと正月

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百均に並ぶXmas

子どもの頃(たぶん昭和30年代初頭)の冬休み。

当然だが、田舎村には、クリスマスなんて言葉も無かった時代。

冬休みになると、25日?に持ち回りで天神講なる催しがあった。

 

菅原道真公にあやかり、学問に精を出して欲しい!の願いがあった慣習。

もっとも、当時は、菅原道真公を知らない子どもたちばかり。

が天神講は知っていた。

愉しみは、近隣の子供たちが一同に会し、当番のお宅で用意してくれた主に五目ご飯をみんなで食べること。

冬休みの何よりの愉しみだったが、いつの間にか消滅した。

代わりに、高度経済成長が、クリスマスなるものを日本に持ち込んだ。

考えてみれば、日本人って、外国の風俗習慣を取り込んで、独自のモノに変えてしまう

能力に長けてますね~

キリストの存在は知らんでも、Xmasは知っている。

ホールケーキが小売店の店頭に並ぶようになったのは昭和40年代だろうか?

パンメーカーが早くから作り置きし、冷蔵庫に山のようにしている仕組みは後にバレた。豊かになること=消費活動だった時代でもあり、Xmasはきっかけに過ぎなかったんだろうね?

 

帰郷して以降、滅多に暗くなってから外出することは無い。

先日、所用で止むを得ず、暗くなってから出かけた。

驚いた。

こんな田舎でも、イルミネーションを飾っている家があちこちにある。

そ~なんだ~ 小さなお子さんが居るのね?

家族で楽しみにしているのね?と家庭が透けてみえて、微笑ましいなぁと。

東京に20年弱居住した。

上京した年であろうか?

東京駅丸の内でイベントがあった。

おのぼりさんでもあり、観に行ったが、雑踏の中を一方通行で歩かされた。

とても、綺麗だったが、異次元空間に迷い込んだ感が否めなかったひととき。

世紀をまたぐイベントとして数年間続いていたやに記憶している。

たぶん、丸の内の管理人さん、三菱地所が中心のイベントであったろう。

バブル崩壊の後遺症も癒えつつあり、丸の内村も再開発が始まった頃。

丸の内の存在感を示したい意図もあったんだろうね?

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あれから20年。

東京駅も改装がなり、御成道路も綺麗に整備された。

今年は、趣向を変えてイベントがあるようだ。

三菱村らしく、派手すぎず、地味すぎずなのかしらね?

東京ミチテラス2019なるイベントがあるようだ。

 

故郷に戻り改めて感じるが、東京なる存在は、文字通り異次元。

最強の観光都市であり、最強のイベント空間であり、最強の消費都市であり・・・・。

江戸幕府以来、416年。

明治維新からでも、150年。日本の中心としての地位は揺るがない。

とりわけ、幕府は参勤交代で江戸詰めを強い、維新政府は中央集権化で富の集中を行った。東京に集中するのは必然なんであろうね。

 

で、天神講。

いつから消滅したのか?記憶が定かでないが、たぶん、昭和35年前後には消滅してる。TVが入りだし、子供たちが外でつるんで遊ぶことも無くなった時代。

あの頃の冬休みと云えば、子どもたちは里山に入り浸っていた。

カスミ網派とトリモチ派に別れて、もっぱら野鳥の密猟をしていた。

渡り鳥が増え、里山には木の実が落ちて、野鳥が豊富だった時代。

付近の里山は、この季節には、落ち葉を農家が集めていたから遊び場所としても、優れていた。現在のように、笹竹が生い茂り放置されたものでは無かった。

林の空間にカスミ網を仕掛け、野鳥が飛び交うのをじっと待つ。

網にかかれば即確保。

売れる野鳥(シジュウカラメジロヤマガラ)は持参した靴下に入れ、野鳩ツグミはその場で首を締める。

前者は販売し、後者は焼き鳥で食べる。これがカスミ網派。

一方でトリモチ派。

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シジュウカラメジロ、自作の竹籠。

秋の間に孟宗竹を使って、鳥かごを作る。

カスミ網で獲った鳥をおとりにしたり、熱心な子どもは一年間飼い続ける。

新しい鳥かごだと、野鳥が警戒するので、畑の土で、カゴの存在を薄めて林に入る。

籠の上に番線を付けて、途中にトリモチを塗った枝を挿す。

あとは、野鳥の通り道の降りやすい樹を探し、じ~っと待つ。

その自慢話が天神講の主役だった。

が、当時の里山遊びで得た知恵は後の人生の宝になる。

自然の掟、森の掟、野鳥の生態、いろんなことを学んだ。

 

60年も昔の皆が貧乏だったが、豊かな時代でした。

まぁモノが溢れているゲンダイも豊かと云えば豊かですわね。

先日、行きつけのスーパー店頭で見かけた正月飾り。

いやぁ見事でしたね~

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越後製菓! 販促費いくら掛けたんだろう?

こちらは、納入業者さんは不明だが、これも見事。

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ご祈祷済みのカードが・・・。

師走は忙しないですね。世間は・・・・。

そんな世間とは距離を置く高齢者^^;


 

 

 

 

 

 

 

 

三線の花とワダツミの木

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大好きなやんばるの海

昭和48年(1973年) 沖縄の本土復帰の翌年に沖縄を初訪問した。

が、記憶は何も無い!

研修旅行の船で沖縄往来をした。

県全体から数百名が乗船していたやに記憶しているが、こちらも何らの記憶が無い(^^)

まぁ研修旅行なるものは、宴会に行くようなもんだから・・・と聞かされていたし、同僚10名ほどの過半が賛同してくれたので、二万円ずつ集金し、夜ごと、船内の酒場で朝まで宴会。

昼はとうぜん、研修には参加せず、寝て暮らす日々を過ごさせていただいた。

3日目の夜に、上陸禁止を破って、那覇の町へ繰り出した。

当時は、好奇心旺盛だったんだね。

 

帰路は神戸で下船し、新幹線。新幹線乗ったことのない田舎もんに体験させてやろう!の意図があったんだろうね?

因みに主催したのは、県共済連(保険の連合会ねっ)。

なにしろ、当時の共済(生命保険)の押し売り振りは半端無かった。

農協の職員はおろか、地域に点在している、支部長さんたちを総動員して押し売りしまくる。内容の説明なんぞは一切せずに、有無を言わせず、押印させる。

当時で掛け金が年間6万円程度の生命共済を一週間ほどで売りまくる。

結果、組合員の半数程度が半強制で加入させられていた。

支所管内だけで、500口☓6万円≒3,000万円ほどになった。

当時はさして問題にされない時代でもあったが、日本生命を凌いでいたんでは無かろうか? 後に全国連の闇が暴かれそうになったが、闇に葬られている。

バブル崩壊時に痛手を蒙ってるはずだが、、、、。

ゆえに、旅客船を貸し切っての研修旅行なんぞ簡単にひねり出せたはず。

 

車内で食堂車に陣取り、いまで云うどこかの国の観光客同様の傍若無人ぶりをして反感を買ったことは記憶に残っている。

隅のほうに陣取り、いや~な顔をしていたのは物故された松方弘樹だったのは愛嬌。

まぁ茨城の田舎もんが初めての新幹線、かつ、前日までは船中で夜ごと宴会三昧だった勢いを新幹線に持ち込んだ。

懐かしい思い出だが、帰ってから、引率者の管理職氏と何故か小生が組合長室に呼ばれた。県連から苦情が届いてるが、どうだったの?と問われ、正直に答えた。

研修旅行は、宴会旅行と心得よ!と諸先輩からの教えを護りました~ とね。

当時の組合長は、大物。

そうか・・・お前さんが正しいわな。県連もケツの穴の小さな連中が多いからね~

と、炙ったスルメに、コップ酒を馳走になって、帰宅した。

そう・・当時はまだ飲酒運転が厳格化されてない時代でもありましたね。

 

時を経て、1999年に沖縄を訪れる機会を得た。

公益法人に籍をおき、沖縄県自治体の振興計画の受託前の予備調査名目で入った。

いずれ、詳しく書く機会があろうが、とある闘争に巻き込まれることになった。

と被害者面で書いてるが、判官贔屓の血が騒ぎ、沖縄に入れ込むことになる。

縁をつくってくれたのは、伊江島塔頭だったな!と今でも思っている。

なぜなら、伊江島塔頭のいただきに居る折に、事務所から電話があり、困っている人達が近くにいるようですよ。

時間があれば、立ち寄ってください。メールを転送しておきます!

連絡をとり、本部の港で、関係者のオジイ、オバアと一時間強、話を聞くことになった。

おかげで、湧出(わじー)も米軍飛行場も伊江島全景も見ることが叶わなかった。

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伊江島塔頭。拝所。

この案件は、二年の歳月を要し、オジイ、オバア側が村に勝利することになったが、以降も年に数回、訪問させていただき、沖縄を旅することになる。

石垣から西表にわたる高速船の中で初めて聴いたのが、ワダツミの木(はじめちとせ)。衝撃を覚え、即、CDを買った。

その何年後か? 同じく石垣に入った折に、聴いたのが、三線の花(BEGIN)。

前者は奄美出身、後者は石垣。

今でも、そう感じているが、いずれも、琉球列島の環境が産み出した歌であろうかと。

伊江島塔頭が産み出してくれた縁が20年以上も続いている。

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本島北端。辺戸岬からの安須森御嶽。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国民には義務はあるが、国会議員は権利のみ?

 

日本国憲法41条以下に国会に関する記述がある。

正直に申し上げると、古希近くなって初めて条文に目を通している。

 

仰け反っている!!!

国民には三大義務があるが(とりわけ、納税と勤労ね)国会議員には義務が記されていない。

あるのは、歳費を受ける権利、不逮捕特権、院内発言の院外での責任は問われない。

善意に考えれば、いやしくも国会に議席を有する、あるいは議席を得ようとする者は責務、義務くらいは十分に認識しているであろうことを前提にしているのかも知れない。

悪意にとれば、GHQ憲法草案作成部隊が、適当に書いてみただけのことに過ぎない。

 

結果、GHQの中核メンバーであった米国では許されていない共産党議席を持ち、共産党よりも、得体の知れない社会党やら、流れを有する幽体離脱集団『民主党』なる党名と本音が乖離した政党が政権をとるに至った時代もあった。

民主党の初代党首・鳩山由紀夫氏(総理大臣)はTwitter上で、韓国、中国寄りの発言を繰り返している。

言葉が違いますね。

日本を貶めて、歴史を歪曲する発言を繰り返している。

戦前であれば、特高警察に逮捕され、裁判で有罪になり、絞首刑になったであろう発言ばかりを繰り返している。

日本に害を齎すのみで益になることは、何も無い!

こんな人物が民主党政権の初代党首。

画像はいくらでもあるが、観たくないから、掲載しない。

 

次の総理が、菅直人

若い時分から知っているが、ただの世渡り上手な田舎では忌み嫌われる人物に過ぎない。昔、農協職員をしていた折に、亀の子専務なる称号をもった人物が居た。

高校出たてのあんちゃんは、なんのことかさっぱり分からず聞いてみた。

都合次第で、首を出したり、引っ込めたりするから付けられたあだ名と聞いた。

この人物は、亀の子専務よりも遥かに質が悪い。

その1,当時は神様のごとく慕われていた熱烈なファンが居る市川房枝氏に取り入る。

その2,『市民』なる二文字は怪しい連中が口にする言葉と日本中に知らしめた。

前者では、彼女の支持票を誘導するため?に押しかけ選挙参謀をした。

 

後者は、言わずもがな。市民運動なるあやしい、とてもあやしい四文字熟語として普及させた。

最近では、マスコミまでが、日本市民なんぞと云う妖しい日本語を使いだしている。

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市川房枝氏と菅直人。 総理時の彼の本性を顕にした福島視察の一コマ

何を申し上げたいかはおわかりいただけるであろう。

何処の国にも歴史から消し去りたい時代や人物があろう。

いまの韓国もその一つ。

併合を願い出て、教育からインフラまで他国の予算でしてもらったことが恥なんであろう。なんとか歴史から消し去りたくて、なにかにつけて、イチャモンを付けている。

まるで国策が、日本への言いがかりとイチャモンとゆすりタカリに終始している。

ポッポとイラ菅は、韓国以下。

日本国民として、日本の地位と日本人のidentityを貶めるだけの存在に過ぎない。

 

親の背をみて、子は育つ!と云う。

旧民主党の残党は地方議会議員やら知事やら首長に席を移した者も多数いるが、立憲や国民に席を置いてる議員に、日本国の国会議員の責務を負うて居る者が居るか?

自明であろう・・・。

 

背景は、全てが粗雑なつくりをした占領憲法WGIPにあろう。

おら、こんな国イヤだ! 

子孫には残したくね~

ならば、憲法改正なんであろうが、これも、埋め込まれた地雷があり、望めまい。

最たるものが、憲法改正は、最終的には国民投票によると明記されている。

有効投票数の過半数が賛成すれば、憲法は改正できるとされている。

が、欧米諸国の憲法改正は、過半が、議会決議でされている。

GHQは容易に憲法改正出来ない地雷を埋め込んだんでしょうね?

方策を個人的に考えてみた。

先ずは、公職選挙法改正。

こんなザル法はありません。

詳細は避けるが、まるで中学校の生徒会長選挙のようなもんです。

極論すれば、誰でも議会議員に立候補出来ます。

日本国のためになります!の誓約書も、日本国民のために働きます!も無い。

紙一枚と供託金を積めば議員になれる可能性がある。

こんなバカな制度を戦後七十年も経て、改正されていない。

 国家、国民に忠誠を誓い、尽くすのが議員の務めであろう!

なにゆえ、自民党が改正しないのか不思議でならない!

茶番を演じる演劇場化を容認し続けてきたのは自民党では無かろうかとさえ感じる。

 

爺さんは、最近、米国の52番めの州になるのがベターな選択であろうと感じてならない。

国家としての最大の責務であろう、国民の生命も財産も護れない日本。

これは国家とは呼べまい!

そう・・・北の拉致被害者と漁民を人質にとられた竹島不法占拠と在日特例法の存在。

安倍政権は七年になろうとしているにも関わらず、なんらの成果を挙げ得て無い。

この際だから、52番めの州になろう・・・。それも特例州でよろしいかと。

 

極論やも知れないし、賛同する国民は居ないであろうかと思うが。

過激なところから落とし所や真実が見えてくるのもあろうかと。

 

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宗任神社と総理大臣と陸奥

さして遠いわけでは無いが近くに出向く用事がなく、一年以上無沙汰をしてしまった。

 

この神社との縁は50年近く昔になる。

当時は農協職員。組合員の依頼で、境内のモミジの太枝を運んだことがあった。

その当時は、神社があるんだ~程度の知識。

 

40歳過ぎてから、前九年の役と安倍一族のことを岩手で知った。

縁があった町を訪ねた折に村人に教えられたのが、安倍路。

盛岡が本拠地だったようで、現在も北上川沿いに、盛岡市安倍館町なる地名が遺されている。この本拠地から東西南北に軍用道路が作られていたようで、その一部が安倍路として山裾に遺されている。

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安倍路沿い。 朝日の風景。

10年ほど通わせていただいたが、主題では無いのでこの町で仰け反った体験だけを書いておく。

当時、訪ねたのは、環境系のコンサルタントとしての初訪問。

営業が仕事を確保してくれて、具体的な進め方の打ち合わせに立ち寄った。

初めて訪ねる際は、前日に入り、町をこっそりと観て歩くのが習わし。

一日でも歩けば、そこそこの雰囲氣は掴める。

役場に立ち寄った折に仰け反った。

町民課の待合室の片隅に座っていた。

◯◯さん! 今日はなに用ですか~と、次々に窓口に訪れる町民に窓口担当二名が名前で声がけしていた。

これには驚いた。

農協職員時代。

最初の配属は、配達用トラックの助手だった。

なんで???と当時思ったが、組合長方針!!

後に判明したが、組合員の人となりと名前と顔を覚えなさい!が方針の根底だった。

当時の農協職員は、窓口の女性職員まで、支所内1,000名弱の顔と名前を覚えていた。

時間があると新人の女性は配達トラックの助手席に載せられてた。

同様のことを人口30,000人の役場の窓口でおやりになっていた。

 

容易では無いなぁ~と同行者に伝えた。

実務に入ると、想像を遥かに超えた町であることが後々判明する。

一言で云えば、町長以下幹部職員全員がペイトリオッツであったこと。

後に、数十の自治体に関わりを持たせていただいたが、こんな町は存在しない。

当たり前と云えば当たり前だが、全国の自治体数は1,741ある。

其の中で、どれだけの自治体が地域のこと、地域を良くすることだけを考えているものか?

選挙で選ばれた首長が、命懸けで地域を良くするための施策をこうじているか?

どれだけの公務員が、己の職務に人生を賭けているか? 疑問を感じざるを得ない。

この町だけは、コンサルフィをいただくのが申し訳ないほどに、様々な氣づきをもたらしてくれた。

付き合いもOPENそのもので、町に入る度に、夜は幹部と割り勘で食事。

そこでも、話題は、町を良くするための情報提供を強いられていた。

数回訪問した後に、朧氣に理解したのは、コンサルの能力では無かった。

当時はネット社会もさほどでない時代。

東京の情報が欲しかったのが一義であったろう。

今でこそ、過半の情報はネットで瞬時に入手できるが、肝心な人との繋がり、事業のヒントを齎してくれる繋がりは容易にはたどり着けない。

其のことをこの町は、町長以下が口に出さずとも共有されていたのであろう。

詳細は、除くが、10年通わせていただいて退いた。

癒着との誹りは免れないからだ。

その後、世間からこの町が面白いことになってるとの情報が届く。

やっぱりなぁと感じることがある。

この町の先代町長は、大手運送業の会長氏。

事業の前提にあったのは、投資効果だったかと。

役所といえども、費用対効果を考えなければいけない!が根底にあった。

普段の会話では、素振りも見せないが、幹部には浸透していたんであろうことは想像に難くない。

当時のイベントの折の、町長の宣言がHPに遺されている。

これがすべてであろうね。

って、いま氣づいたが、当時の町長名が記されていない。

どこまでも徹底した町長と町ですね。

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新世紀未来宣言(平成12年のイベントにて)

 

役所を事業体と考え、事業収入を増やすために民間が出来ないことを合意形成をしつつ実践する!

自治体が本来保たなければいけない姿勢を持ち続けている稀有な町だ。

視察が殺到しているようだが、判るまい。

出来上がった施設を数時間の視察で観ても、決してわからない。

首長やら議員さんやらが同行の職員に書かせる報告書は、出来ない言い訳とあの町特殊論が並んでいるのでは無かろうか?

お忍びで前日に町に入り、身分を明かさずに、見て回るような人物は居るまいねっ。

突出するかと思う。

 

脇道にそれたが、この町で、炎立つの原作者が同町出身であることを知り、石川啄木が詩人になったことも知った。

冬季になれば、ほぼ毎日が鉛色の空。

そりゃ詩人になるわな~

で、宗任神社。

前九年の舞台が宮城、岩手の県境。世界遺産になっている、平泉周辺。

ここで征夷大将軍源頼義率いる朝廷軍と地場の豪族、安倍一族が戦った。

それが前九年の役。安倍一族の棟梁は、安倍の賴時。息子二人と娘婿が中心とされる。

息子二人は、長子の貞任、次男の宗任。娘婿は、藤原経清。そう将門を滅ぼした藤原秀郷の子孫。この夫婦の子どもが後に藤原四代の始祖になる。

ほんと、くどいねっ^^;

この戦いは朝廷軍の勝利になり、宗任を除き、殺されている。

なにゆえ、宗任だけが流罪にされたのかはどの文献にも記されていない。

 

宗任の配下20余名が南下し、祀ったのが宗任神社と伝わり、宮司は代々、配下の長である松本家が担っているらしい。

機会をつくって、現宮司さんから伝承を伺えればと考えている。

900余年の悠久の歴史を語っていただけるものかと。

むろん、その折は完結に? 書き残しておきたいと。

 

紆余曲折があるようだが、宗任の子孫の一人が現総理安倍晋三氏とされている。

こちらにも悠久の歴史があるようだが、今朝は疲れたのでこれまで(^^)

 

國王神社でも書いたが、不思議な縁があるようだ。

この町に10年も通わせていただいたのは、50年前の宗任神社の導きだったのかと、勝手に考えている。

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蟻の目、鳥の目、衛星の目、人の目

宇宙からみた地球です(google earth)

隣は、羽田行きの降下中の旅客機からの下妻

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人の目線でみた下妻駅と、蟻の目線でみたイロハモミジ。

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他人皆、我が師と教わった。

古希近い齢を重ねて、感じることは、知識も知恵も不足がどんどん拡大すること。

そう・・知恵も知識もこれで可は人生に無い。

もういいや!と思った時点で人生なる知恵と知識探求の旅は終焉する。

独自性とかオリジナリティとか呼ばれる世界が存在する。

たぶん、教育の現場でも教えられることがあろうかと思う。

鶏頭になるも、牛尾になるなかれ!なんて言葉もあったかな?

 

表題も他所様から教えられた視点。

ついでに、人に独創なんて無いんでは?と感じたことがある。

とても、楽になった記憶がある。

言葉も行動も考え方も全て学んでいることに氣づかされて以降のことだ。

日本に生まれたら、日本語は話せるもんね。

両親や兄弟、祖父母、近所の住民から教えられる。

本能の二文字を除くと、皆、学んだ知識と知恵なんであろう。

赤ん坊は、教えられずとも、母親の母乳を呑むことが出来るし、オシッコもウンチもすることが出来る。

これは生きる本能なんであろう。

ついでに、本能の話。

第一印象とか直感なる言葉がある。

友達であれ、ビジネスの相手であれ、第一印象で何を感じるか?

????? と感じることが多々あった相手とは距離を取ることが正解。

第一印象は、遺伝子同士の会話と云うか鬩ぎ合いが感情に遺るものでは無いか?

一目惚れ!なる事象もありますね。

これも、(たぶん)科学的な解明は出来ないであろう。

遺伝子同士が互いに、諾!と感じれば相思相愛になり、片方が否となれば片思い。

第一印象だけにこだわることもないが、大切にすべきかと。

これは、失敗を重ねてきた体感から感じることゆえ貴重。

 

4つの視点に戻る。

ビジネスであれ、勉学であれ、この視点をわすれては行けないよ!と教わった。

未だに、従軍慰安婦やら徴用工やら戦争犯罪人やらを論う国家が周辺に存在する。

歴史から学ぶことは大切だが、往々にして歴史は勝者が遺す。

先の大東亜戦争に関して云えば、あれは、当時の米国大統領フランクリン・ルーズベルト黄色人種毛嫌いと日本憎しに嵌められたに過ぎないが、巷間伝わる歴史感は日本の戦争犯罪人が悪だった!なる誤った歴史観

戦争には勝者と敗者しか存在しないし、犯罪人と云えばその時代に生きた全ての人間が犯罪人であろう。

ゆえに、靖国参拝を他所の国から問題視される筋合いはない。

我が家の墓参りを他所の人間に、文句付けられてることと同じことに過ぎまい。

国内にも、何を目的にしているか不明だが、盛んに喧伝する人物や報道がある。

他所様の弱点だけを突いて回る。

友人には決してなれないわね。何処とは書かないが、自明であろう。

時代を見るには、現代と過去と未来の視点が必要であることの証左。

過去にだけ囚われていたら、先には進めない。

 

国会で数年間続いている無益な論争がある。

昨年で自然消滅してしまったモリカケ&季節外れの桜物語。

モリカケに関しては、この人物がはっきりと断を下している。

当事者の一人であろうから信頼に足りるかと思うが・・・。著作もあるようだから興味があれば一読を。

森本学園については、日章旗を振らせる教育を続けてきた保育園の経営者が小学校を新設しようとしたのを、止めたかった人物が居たようだ。

この人物は、関東はほとんど報道されていない、労組を名乗る恐喝者集団とツルンでいる。お仲間が野党にはたくさんいるので、そこへ乗っかったのが維新を除く全野党。

面白いサイトがあったので参考されたい。

ここで云う逮捕者続出の関西生コン沖縄県辺野古への米軍基地移設反対運動にも関わっている。

たびたび話題になった米軍の海兵隊普天間基地を名護市辺野古の同じ米軍基地に統合し、移設しようとする政府間合意に反対する運動?。

普通に考えて、正当性は皆無だが、このことはいずれ、別項で書くことにするが。

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海上で反対運動をするカヌー。恐喝で逮捕者続出の労組が寄贈したカヌー。

何を云いたいかと云えば、モリカケ⇒関西生コン労組恐喝⇒辺野古反基地⇒桜・・・。

全てが繋がっている!

報道の世界から垣間見えるのは断片に過ぎない。

 

世の中に起きていることは、過半が人類の一部が何かを企み仕掛けて居ると考えないといけないし、その中で自分が何をして、どう生きるか?

言葉を変えると、この世に、天子の一員として、生を受け、その生をまっとうするための様々な視点を持たないといけない!という事が師匠が教えてくれた4つの視点であろう!と感じている。

そう、人類は、特別な存在では決してない。

ほうれん草も米粒も自然が形造っている。農家が作っているわけでは無い。

土、水、大氣、太陽・・・・の恵みで育つ手伝いをしているに過ぎない。

ついでに云えば、ほうれん草も米も人間のために成長しているわけでは無い。

稲刈の終わった水田、収穫されなかったやさい畑を見れば良い。

そう・・・子孫を遺すために育っている。

それを収奪することで生かされているのが人類。

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とうだちした野菜。稲刈り後の蘖。(南国ではこれを収穫する)

天子としてこの世に、この時代に生を受け、天使になるか、悪魔になるか?

様々な視点で社会を眺め、自分の生きた証しを日々重ねなさい!が教えてくれた師匠の意図したものかと感じている。

 

今日も、話題がとんでしまってるなぁ。ボケが始まっているのか^^;